女子アナ内定学園 〜「女子アナに内定する技術」を学ぶためのアナウンススクール

ミッション(使命)

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ミッション(使命)

アナウンサーを辞めて、起業した理由。

中学・高校・浪人と、7年間ほとんど人としゃべったこともなかった自分。

唯一の楽しみといえば、ブラウン管の中にいる、逸見政孝アナウンサーの出演している番組を観る事ぐらいだった。

彼は、高校を卒業して浪人が決定した瞬間に女に振られ、
「見返すためにアナウンサーになってテレビに出てやる!」と一念発起して猛勉強を開始。

「マスコミなら早稲田しかない!」と死ぬ気で勉強して早稲田大学に合格。

関西弁を直し、アナウンサーになるために猛特訓を重ね、フジテレビのアナウンサーに合格。
そして、念願の人気アナウンサーとなった。

「どん底から這い上がって、ビッグになる。」
という、彼の生き様に心底ほれ込み、いつも彼から勇気と元気をもらっていた。

だが、その人生の師匠が、大学2年の12月25日に、ガンで亡くなったことをテレビでリアルタイムで知った。
そのときに、思った。

「彼が亡き後、誰が大勢の人を勇気付けていくというのだ。
・・・・・・俺?
そう、俺しかいないではないか!
逸見さんと同じ、大勢の人に勇気を与えられる職業は何だろう?
そうだ。逸見さんがアナウンサーなのだから、自分もアナウンサーになって大勢の人を勇気付ければいいのだ。」
と・・・

しかし、振り返ってみても、人前に出たこともなければ、人とほとんど話したことさえない自分。
書店を探しても、「人としゃべったことが無い人がアナウンサーになる方法」なんていう本はあるはずがない。
だから、才能が無くても、凡人でもアナウンサーに内定する方法を自分自身で編み出すしかなかった。

そして、20社以上も落ち続け、見事27社目にして、奇跡のアナウンサー内定を勝ち取った。

アナウンサー時代は、念願の中高生を勇気付けるラジオ番組(2時間生放送)を2年間担当するという名誉に恵まれた。
まさに、この番組こそが、自分がアナウンサーになって「ヤリタイコト」であった。
だが、2002年3月31日で、この番組が打ち切られることが決定したとき・・・

非常に悩んだ。
どうしてもなりたかったアナウンサー。念願のアナウンサー。
だが、これ以上アナウンサーを続けていても、中高生や若い人を勇気付ける番組を担当することは、 この会社にいるかぎり、もうできない。

所属していた会社のアナウンス部は年功序列であるため、
中高生を勇気付ける番組を担当するのは、20代の男性アナウンサーの特権だった。
そう、念願のアナウンサーにもかかわらず、アナウンサーでいることが、やりたいことではなくなってしまったのだ。
そこで、考えた。

「そうだ。自分と同じような境遇の学生がいるはずだ。
凡人だが、どうしても企業に内定したい、彼・彼女らに、「凡人でもあっさりと内定できる方法」を伝授しよう。
それにより、大勢の人を勇気付けられるような学生が日本中に続出したら、素晴らしい世の中ができるはずだ。

逸見イズムを継承した、石井イズムを持った就職希望の学生を養成しよう。

当時は自分ひとりで頑張っていた感が否めなかったが、同じ思想の学生を輩出し、日本を明るく変えよう。
そして、彼らが社会人なったときに、勇気と希望を大勢の人々に振りまく。
自分がアナウンサーになれた奇跡を、アナウンサー志望の学生にも体感してほしい。

逸見さんが与えてくれたものを、今度は還元していきたい。」

そして、思い切って、会社に辞表を提出し、アナウンサーを辞め、無職からスタートすることにした。
世界一周旅行にも行き、視野を広げてきた。
充電期間を終えた、2003年・・・会社を立ち上げて、このHPはスタートした。

凡人でもアナウンサーになれるという奇跡を、君にも体感して欲しい。
勇気と希望を与えられる存在になって欲しい。

「人生は変えられる。」

そのことを君に伝えたい。

そのために、私は頭に汗をかくことを、惜しみません。
その代わり、「どうせペテンに決まっている。」という石井を信用しない学生や、
「お金を払ったんだから、おまえが考えろ。」という他力本願な学生には、正直荷が重いので、どうかご遠慮願います。

2013年。
石井は、本気の学生に、本気で応えます。


女子アナ内定予備校 主宰  石井貴士

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